長野市地域おこし協力隊、信更地区担当の窪美です。
今回は信更町の桜井地区にある江戸時代の石仏、三十三箇所巡拝塔を紹介します。
かつて旧篠ノ井街道沿いの桜井地区内に三十三体の石仏(観音様)が祀られていました。
この街道は、時代の流れとともに通行する者もなくなり、
現在では、うっそうとした林と藪に覆われています。
このまま石仏を放置しておいては、埋もれてしまうということで、
住民総出で石仏を掘り出し(文字通り土に埋もれていたという)、
県道沿いにある広場の一角に安置されました。
ただ、残念なことに三十三体の石仏のうち、残っていたのは17体のみでした。
この三十三箇所巡拝塔、詳しい由来は不明ですが、
石仏の一体には、天明7年(1787 年)と刻まれています。
江戸時代は、観音信仰が盛んだったと言いますし、
日本各地に三十三体の石仏が残っていることから、
観音信仰の西国三十三所巡りと何らかの関係があるのでしょうか。
考えて見ると、天明3年には浅間山が噴火し、
天明の大飢饉が発生したりと当時は治安も悪化した大変な世の中でした。
無事に西国三十三所巡りを果たした地域の人が、
街道を通行する旅人の安全を願って、寄進したものかもしれませんね。
(私の勝手な想像です。)
これからの世の中もどうなるか分かりませんが、
昔の人々の暮らしに想いを馳せるのも時にはいいものです。
信更町に来られた際は、桜井地区の三十三箇所巡拝塔、
ぜひ訪ねてみてください。
コメント
信更町安庭出身の者ですが、このように地元を紹介して頂き、ありがとうございます。
今は結婚し、川中島で暮らしておりますが、信更町の良き伝統文化があったのだなと、感慨深いです。離れてみて、このブログを読んで、初めて信更町の良さというものが分かるきっかけになりました。
えみたさん
コメントありがとうございます!!
信更出身の方からコメントをいただき、嬉しいです。
返事が遅くなってしまい、すいませんm(_ _)m
(コメントの設定がよく分かっていませんでした。)
じっくり探してみると、この地域を維持してきた先人たちの苦労や努力が
しのばれるものが沢山あって、本当に興味深いです。
これからも、そういったものを少しでも紹介していければいいなと思っています。